震度6強

3月11日地震がありました。
ここ何年かで震度5強クラスを数回体験した岩手県北上市ですが、今回はその比ではないくらいの揺れでした。
地震当時事務所にいたのですが、docomoの緊急地震速報がなったのと時を同じくして激しい揺れが!!
目の前でPCのモニターが倒れ、たなの書類はガンガン落ちてくるし、足元はさっき空けた缶コーヒーが散乱するはでもう大変・・・・
揺れが収まるころには電気も消えてしまいました。この商売をしていて一番まずい状態です。
付けたままのPCの電源強制断&倒壊・・・
とは言えそんなことよりも自分の身がヤバイと感じ、すぐに非常口からビルの外へ(今思うと外に出るのがいいのか悪いのか・・・)
同じビルの人もたくさん外に避難していました。
大きな余震も心配でしたが、同時に自宅と家族も心配になったので、事務所にもどり、最低限の物を持ち出し車で避難。
途中かなりでかい余震がきて、ハンドルをがっちり押さえていないと大変なくらいでしたがなんとかかんとか自宅まで無事辿り着くことができました。
家につくとすでに家族は家の外
家の中は大して物は落ちていないが、やはり怖かったのでしょうね。
近所の人もみんな外に出て不安そうな顔で時をり訪れる余震のたびに上を見上げ電線が揺れるのを眺めています。
とりあえず、家の中に戻りましたが、その後も立て続けに震度5近い余震が来て、そのたびに外へ。
家も、身体も無事だったのは不幸中の幸いですが、停電でなにも情報が得られず・・・
たまたま家にあった電池式のラジオから流れる情報だけが頼りでした・・・
幸いうちの地区は水道が生きていたので、灯油式のストーブと、カセットコンロでなんとか夕飯をとり、暗闇と余震のなか眠れぬ一夜を過ごすことに。
いまだに情報源はラジオのみ、という停電状態が丸2日続き、その間一切TVは見ることができませんでしたが、今振り返るとかえってその方がよかったのかも。なんせ電気が通じて余震もいくらかおさまったあとに見たTVの光景がアレですからねぇ・・・
買い置きがそこそこあったのと、限られた物資でも近隣の商店が次の日から一部空けてくれたことで、さほど不自由さは感じない生活が送れた。
ただ、ガソリンは入れれそうになかったので 次の日からはずーっと徒歩とチャリ移動の日々。
不自由ではあるけれどこのくらいは沿岸の人たちに比べるとなんでもない。
物資も徐々に届き始めているし、ガソリンもそろそろ来るだろう。
被災地にありながら甚大な被害を受けなかった僕たちは、出来る範囲で節電&節約して一緒に岩手、宮城、そして被災したすべての地方のみなさんに協力していくことをやっていこう。
また、必要以上の自粛をせず経済を動かしていくことも必要!!

この記事を書いた人

ワラウカド